支援者として

昨年の秋、次男が5歳の時に「発達検査を受けてほしい」と保育園から依頼があった。

家庭でもコミュニケーションが特徴的だったので、「もしかしたら」と思っていた矢先のことだった。

保育園のような集団の場所では、その特徴は顕著だったようで「次男君にもっとたのしく保育園生活を送ってもらいたいから」と言葉を慎重に選んで依頼してくださったのを覚えている。

発達検査の結果は「自閉症スペクトラム障害」。妻とは検査を受ける前から、次男が少しでも楽に生きていけるようにするために検査を受けるんだと何度も話しあっていたが、妻は一人になると泣いていることが多かった。

検査結果が出てから、担当の相談支援事業所が決まり、担当の相談員さんが決まり、支援計画が決まり、児童発達支援事業所が決まり…と様々なことが決まっていった。

勝手に決まったのではなく、一つ一つ丁寧な説明があり、親である私が決定した。ただ、次男の将来について親がどのように生きていけばいいのかの整理がつかないまま、また、日々の生活の忙しさに追われたままの状態で、支援してくださる方々のご意見だけに任せてしまっている。(誤解を招かないように説明するが、保育園の先生も含めて、支援してくださる方々は、私たち親の心境も慮りながら、とても丁寧に対応してくださっている。)

現在も来年の小学校入学に向けて、様々なことが進んでいる。次男がどのような形で小学校に入学するか。とても重要な決定を11月までにしなければならない。そのためにできることはすべて行い、次男が楽しい学校生活を送れるようにしたいと思うが、本当に最良の決定ができるのかという不安が常につきまとう。

私は制度の「仕組」は理解していたが、その状況に置かれる本人や親の「心境」を理解できていなかった。どんなに「仕組」がしっかりしていても、本人や親の不安が拭えることはなく、心の拠り所とするのは支援してくださる方々である。

私自身支援者として不安を少しでも軽くすることはできていたか。反省するばかりである。

 

石田將人