兄弟

 次男が自閉症スペクトラム障害の診断を受けてから約2年。地域の小学校の特別支援学級に入学し、学童保育や放課後児童デイサービスなど利用しながら毎日を過ごしている。

 保育園の頃に比べると過ごす場所が増え、関わっていただく人が増えるので、変化に弱い次男は大丈夫かと心配していたが、今のところ、つまずくことなく学校に通うことができている。

 私が思っている以上に、次男はたくましく育っているようであるが、次男が戸惑うことなく、一歩を踏み出せるのは、間違いなく兄である長男の存在である。

 二つ年上の長男は面倒見がよく、いつも次男の一歩前を歩き、見本を示してくれている。次男の長男への信頼は大きく、長男がいれば安心して初めての事でも挑戦できるようだ。新生活にスムーズに馴染むことができたのは、長男の存在のおかげである。

 最近、長男が「次男はなぜ特別支援学級に行っているの?」と聞くことがあった。子ども向けの自閉症について書かれている本を使いながら教えてみたが、「自閉症やったらなんで障害者なん?」と質問が返ってきた。

 長男は一番近くで次男の自閉症の特徴的な行動を見ているが、長男にとって、次男はその特徴も含めて“次男”なので、おかしさは感じないとのこと。

この二年、私は次男の障害についていろいろと悩んできたが、長男の弟への姿勢をみて、心が軽くなった思いがした。

 

 次男や二歳の妹が自由奔放に駆け回っている家庭の中では、どうしても長男のことは後回しになり、頼りにし、嫌な思いをさせている。「長男に良い思いをさせてやらないと」と思いながらも結局長男に甘えてしまっている。

 親の反省を慮っているわけではないと思うが、いつも私や妻に笑顔で話しかけてくれる長男には、感謝の気持ちでいっぱいである。

 

石田將人